
最近、ミニマリストになりたい願望がある人が増えています。
とある、オンラインコミュニティのオフ会に参加したときも
「ミニマリストに憧れています」
「わたしもミニマリストになりたいです」
という言葉をよく聞きます。
わたしの個人的な意見ですが、
ミニマリストになりたければその日になれます。
別に資格もなにもありませんからね。
ただ最近、ふと思うのは
なぜミニマリストに憧れる人が増えたのだろうと疑問に持ちました。
結論、ミニマリズムは日本人の侘び寂びの精神

結論から申し上げると、
日本人がミニマリズムに惹かれるのは
日本人に潜在的に存在する
「侘び寂び精神」の影響と感じています。
日本人にiPhoneが好かれるのも、
シンプルなデザイン性だから。
Phoneを世に広めたスティーブ・ジョブズは
日本の「禅」の精神にインスピレーションを
受けていたとも言われています。
ミニマムな暮らしの美しさは、
日本人のDNAに刻まれた精神の一つ。
だからこそ、ミニマリストに憧れている人も多いかもしれません。
豊かさの定義の変化

シンプルイズベストの価値観が浸透してきた背景として
豊かさの定義が変わったこともありますね。
ひと昔前までは、
「所有するものが多ければ幸せ」が豊かさの価値基準の一つでした。
戦時中〜戦後まもない頃は、
とにかくたくさん食べることができたら幸せ。
食べ物すらない時代もあったわけです。
時は流れてバブル世代になると、
豪華な結婚式、マイホーム、マイカー、海外旅行など
とにかく派手に消費することが幸せ基準。
2000年代になると
インターネットが普及して情報格差が広がりました。
情報、知識があれば豊かさ、権威の象徴となりますね。
では、令和時代の現代ではどうでしょうか?
「食べ物、所有物、情報」が多ければ良い、
だけではないと
うすうす気づく人も増えてきています。
昨今の風潮としては、
派手な生活よりも身の丈に合う生活。
「持続可能で健康的な丁寧な暮らし」
みたいな情報発信が増えてきてる気がします
(わたしのアルゴリズムではよく表示されてます)
物が多ければ幸せ、というわけではなく
物が多い世の中で、厳選できる自分軸があることが豊かさである。
ということだと思います。
清貧が美しいわけではない

最後にこれだけは言いたいのですが、
清貧が美しい、というわけではないことです。
生活をミニマムにしていくと
物が少なけば幸せなら、お金も不要だよね?
みたいな考え方になる人もいます。
わたしはその考えとは違います。
不要なものには囲まれていないけど
ネット銀行、証券口座には十分な資産が存在することが
精神的にも余裕が出てくると感じます。
十分な資産は確保しつつ、
自分の人生を豊かにしてくれる仕事もある。
そして、不要なものは少しづつ減らしていく。
これがわたしの理想的なミニマリズムです。