わたしは今のところ、マイホームには憧れは持たないタイプの人間です。
ローンで住宅を購入するのも、精神的にも重くなるし、フットワークも重くなるから、マイホームに憧れはありません。
人間の【衣・食・住】は、生きる上での必須事項。
でも、やはりグレードも存在していて、「必需品↔︎贅沢品」の判別は重要。
わたしにとってのマイホームの立ち位置は、
贅沢品に分類されると結論づけています。
いろいろと手続きとかもめんどうですし、
わたしが家庭を持てば、また価値観も変わるかもしれません。
いまのところは、マイホームの所有欲よりも
めんどくささの方が勝っている状況。
なにより、わたしの実家は持ち家なのですが
かなりアクセスが悪い田舎にあるので
わたしは長男ですが引き継ぎたくはないと思っています。
さて、本題に入りますが、
小学生の頃から教科書でみていた
あの徳川慶喜家のお墓も墓じまい、実じまいをするらしい。
歴史上の人物とはいえ、子孫は民間人。
先祖が残した広大なお墓や土地は、
子孫にとっては維持管理が大変な遺産なのかもしれない。
広大な土地を子孫の残しても
お金を生み出せる仕組みがないと
固定費に悩まされる人生になってしまう。
実に悩ましい問題です。
「もったいない」という言葉では片付けられない

莫大な土地を手放すことを「もったいない」と、関係のない部外者が言うのはものすごく簡単。
わたしの実家は当然ながら、徳川慶喜家ほどの莫大な土地ではありません。
比べるのも大変おこがましい話ですが・・・。
ただ、私の実家も田舎にあるので広さだけは、都市部にくらべると一丁前にあります。
土地だけ残されても、人口が現象する田舎の土地だけ持っていても活用も難しい。
正直、へんぴな土地の実家を残されても固定資産税を払い続ける運命となる。
勘弁してほしいです。
「実家を手放す」という決断は、いろんな選択肢を選んだ末の大きな覚悟なはず。
親戚からの意見もある。
実際に私も、田舎にいる親戚から「実家は継がないのか?」と帰省するたびに聞かれる。
正直しんどいです。
マイホームを買う前に、マイホームの最後も考えるべき

最初にも言った通りですけど、いまのところ、わたしはマイホームに憧れはありません。
もし、わたしに子供がいたら、広い庭付きの家で走り回ったり、音漏れをしないでいいような一戸建てで、のびのびと育ってほしい思いもある。
でもそれって、借家でもいいんじゃない?って
ただやはり、個人で家を買うには、家の最後はどうするのか?もセットで考えるべきでないだろうか。
ペットの飼う前に、最期まで世話をできるのか?と、考えるようなことに近い部分があると思う。
「家の歴史から、国の歴史に」言葉っていいですね

わたしのような庶民レベルの資産であれば、そこまで悩む必要はありません。
個人所有の土地を手放したところで、何かと文句言われるのは親戚や兄弟間くらいですから。
徳川慶喜家の末裔の方がおっしゃられていた「家の歴史から、国の歴史へ」という言葉。
これはわたしの価値観に響きましたね。
住宅メーカーとか、不動産屋とかが「夢のマイホーム」などと広告文をうちます。
たしかに住宅という物質は、個人の所有物として認められるかもしれません。
でも、「土地」は所有権を持っていても、税金がかかり続けるわけです。
なんだか、土地は国からレンタルしているような気がしてなりません。
これって、わたしが子供の頃から思っていたのですけど、土地って地球なのだから、地球の一部を人間が所有するって、なんか違和感があるのですよね。
あくまでも、体裁としては個人所有権があるのだけれども、税金が払えなくなったら、国に差し押さえられてしまう。
結局、個人の主有権を得た土地は、いずれかは国に返さなければならない。そんな気がするのです。
何が言いたいかというと、個人の所有という概念に捉われすぎるのもよくないかと。
「家じまい」という言葉にネガティブなイメージを持たれることもあるけれど、しがらみから解放されると新たな歴史も生まれるのではないかとも思うのです。
実家に捉われすぎて、ジリ貧になる人が少しでも減れば幸いです。
追伸:
ABEMAに出演されていた、毛利家の14代目当主のYoutubeチャンネルもものすごく面白いです。
なにより、当主様はがイケおじ。
歴史的な名家を継ぐ覚悟って、当事者にしかわからないことあるのでしょうね。
大変おもしろかったので、動画を共有させていただきます。