思考のデトックス

1億円持っていても貧困な人。フィリピンで怪しいレバ刺しを食べた夜に気づいたこと。

 

25歳の頃の話。

フィリピン留学中に、レバ刺しを食べました。

 

薄暗い店。 ぺたぺたするビニールのメニュー。

そこに、こう書いてありました。

 

レバ刺し。 タン刺し。 ガツ刺し。 ユッケ。

生ものが、堂々と並んでいる。

値段は、180ペソ。

日本円にして、400円ほど。

 

正直、衛生観念も怪しい国で、生のレバーを食べる体験。

狂ってます。 かなり狂ってます。

 

しかも、わたしは海外に行ってまでレバ刺しを食べたいような、レバ刺しジャンキーではない。

 

むしろ、レバ刺しが人生になくても困らない。 偏愛もない。

 

では、なぜわたしはリスクを冒してまで、フィリピンでレバ刺しを食べたのか。

 

理由は、レバーの味とは、まったく関係のないところにありました。

 

年齢とともに、できることは限られる

結局、人生というのは 思い出を作り続ける作業でしかない。

もちろん、お金は大切ですよ。

お金がないと生活ができなかったり、 人生の選択権がなくなってしまう。

 

やりたいことがやれない。 行きたいところへ行けない。

独りで楽しむ趣味も持てない。 人付き合いもなくなれば、会いに来てくれる人もいない。

 

そのような状態を、貧困というのではないでしょうか。

だから、最低限のお金は大切なのです。

 

しかし、必要以上に貯め込んでいても、 それはそれでお金の呪縛に取り憑かれているだけ。

 

わたしは今34歳です。

過ぎ去った時間は、もう戻ってきません。

落ちてしまった基礎体力も、完全に取り戻すのは不可。

 

一方、20代の頃は、体力はあったけどお金がなかった。

自分が何者になれるかも、わからなかった。

だからこそ、勢いでリスクを取ることができた。

 

かつての無鉄砲さというか、 リスクをなんとも思っていないあの行動力は、 理屈ではなかったのです。

 

どうやら、お金を使うタイミングには 旬があるようです。

そして旬は、静かに終わる。

終わったことにすら、気づかせてくれない。

 

人生は、お金貯めゲームではない

たとえば、1億円を持っている人がいるとしましょう。

でも、その数字が減るのが怖くて どこにも行かない。

誰にも会わない。 何も試さない。

 

通帳の残高だけが、静かに増えていく。

 

それは、本当に豊かなのでしょうか。

 

お金がなくて選べない人と、 お金があるのに選ばない人。

本人の中で起きていることは、案外そっくりなのです。

 

どちらも「今日」を使えていない。

1億円持っていても、貧困な人はいる。

わたしはそう思っています。

 

・・・・と、ここまで読んで 「

そうは言っても、老後が不安なんですよ」 と思った方もいるはずです。

 

その感覚は、まったく正しい。

わたしも貯金はしますし、備えのないまま歳を取るのは、 ただの博打。

 

貯めるな、と言いたいのではありません。

貯めることしかしなくなるのが怖い、という話です。

 

貯金は手段のはずが、いつのまにか目的にすり替わる。

しかも、この入れ替わりは自覚できません。

 

残高は増えていく。

だから、うまくいっている気がしてしまう。

 

その裏側で、20代の体力も、30代の勢いも、 黙って通り過ぎていくのに。

 

若いときにできる無茶な体験は一生の財産

 

若いときにできる無茶な体験は、

自分が老人になっても擦り続けられる 一生の財産。

 

あの怪しいレバ刺しは、 おかげさまでお腹を壊しませんでした。

 

正直、味はほとんど覚えていません。

覚えているのは、 一口目を運ぶ前の、あの数秒です。

 

やめておいたほうがいい。

でも、たぶんこの店にも、

この国にも、この歳にも、 もう二度と戻ってこられない。

 

 

仮にお腹を壊していたとしても、 それはそれで一生ものの笑い話になっていた。

どちらに転んでも、財産だった。

 

あのとき節約していれば、手元に残ったはずの180ペソ。

日本円で400円。

その400円は、今のわたしの口座に1円も残っていません。

 

でも、あの夜に食べたレバ刺しは、 10年経った今も、こうして語る言葉になっている。

400円で買った体験が、まだ働いてくれているのです。

 

一番若い日は、いつも今日

ここまで読んで、 「もう20代ではないから、手遅れだ」 と感じたのなら、それは違う。

 

正直に言えば、わたしも34歳の今、 25歳の自分をうらやましく思う瞬間はあります。

 

でも、40歳になったわたしから見れば、 34歳の今なんて、呆れるほど若いはずなのです。

 

50代の方も、60代の方も、同じです。

 

10年後の自分が、今日のあなたを見たら 「そんなに動ける時期に、何をためらっていたんだ」 と言うに決まっている。

 

つまり、こういうことです。

これからの人生で、今日が一番若い日。

 

20代には20代にしかできない無茶があり、 50代には50代にしか味わえない体験がある。

若さを惜しむのではなく、 今日という日の旬を使い切ること。

 

お金は、あとからでも増やせる。

過ぎた時間は、あとからは増やせない。

 

今日いくら残せたかより、 今日しかできないことに使えたか。

そこだけは、見失わないようにしたいものです。

「いつかやろう」と思っているそれは、 たぶん、いまが旬なのです。